広島県東広島市八本松町  (488m)・     ・・・・・
200ア. 1. 25
昔の戦の跡が忍ばれるこの山も今は静けさのなか

吉川の集落からの槌山展望



鎚山は南北朝時代に築城された山城跡として歴史的にも由緒ある山である。
この山へは県道335号線を広島市安芸区の阿戸から戸坂峠通って西条に向かう途中の吉川の集落との間にある「念仏の森」の案内板のあるところを東に折れた林道に入る。
少し進むと豊穣池という名のため池が右手に現れ、この堰堤の反対側にこの山城の案内板と登山口がある。

立派な道がついているので、そのままこの道に沿って登っていく。アカマツとシダが多く、マツタケ山なのか、その時期には入山禁止となっているようだ。
しばらく道沿いの左側にはテープや有刺鉄線等を見ながら登るが、登るにつれて途中からこれもなくなる。
登山道沿いには圧倒的にアカマツが多く、ソヨゴ・サカキ・ヒサカキ・アセビ・ネズ・ネジキ・ヒメヤシャブシ等も混じる。今年初見参のアセビの花も楚々と咲いていた。
右手のに岩の多い山頂を望みながら登るようになると尾根も近い。
稜線は平らで境界の石柱が一本ポツンとたった三叉路となっているが、ここは右の尾根に向けて道をとる。

真っ直ぐに続く尾根道は山頂に向けて道はついており、所々岩の急なところもあるが、そのような場所にはご丁寧にもロープがちゃんとつけられている。
途中、葉の落ちたガマズミの残った赤い実があまり代わり映えしない木々のなかでひときわ目立っていた。
登るにつれて後ろを振り返ると、西から南の山々が一望できるようになる。東側には岩の斜面の向こうに西条盆地も望める。この辺りがこの山では一番の展望地であろう。
さらに登ると樹林の中の道となり、ロープのついた小さな急登を登ると平らな台地となって山頂に着く。

三角点はないが、立派な案内板があり、ありし日の城郭跡の図面とともに説明書きがある。
室町・戦国時代に大内氏の所領として重臣の弘中隆兼が派遣されたが、大内義隆が陶氏の反乱により滅亡後は毛利氏に攻められ落城。厳島合戦後は小早川氏が管理していたが、後に毛利氏に移管されたという。
東西400m、南北250mの広大な地に1郭から4郭に分けられていた戦国時代中期の代表的な城跡だそうである。
昔の人はよくもこんな所に城をつくり、登り降りしていたものだと改めて感心する。

周りは木々に覆われているが、東から南側の城跡等の一部は伐採され展望も望めるがあまりいいとは言えない。
山頂は将来公園化しようとでもしているのか、サクラの小木が植えられていた。
三角点はこれから尾根伝いにさらに東に進んだ低いピークにあるようだが、今日はここまでとして下山することとした。
復路は、往路をそのまま下山する。



登山口前の豊穣池 登山口には立派な案内板が
登山道入口の東広島市史跡の槌山城跡案内板 樹林の中の立派な道が続く
マツタケ山らしく整備された道 今年初見参のアセビの花
ソヨゴの実も今や寂しい 尾根への登山道からの槌山山頂展望
尾根手前の登山道 稜線三叉路
尾根登山道には岩場が多い 登山道沿いのガマズミの実
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尾根道から南側のピーク展望 尾根道
登山道から東斜面展望
登山道岩場にはロープが 水ケ丸山展望
尾根上部からの南から東側展望む(小田山・絵下山・広島市街・鉾取山)
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最後の急登を登ると山頂 槌山山頂
山頂東城郭跡 山頂にある城跡案内板
槌山山頂から南東側展望(西条盆地)




 [ルート&タイム]

 登山口(260m)
  ↓0:15
 稜線分岐(360m)
  ↓0:20
 槌山山頂(488m)
  ↓0:15
 稜線分岐(360m)
  ↓0:12
 登山口(260m)

 (注)標高・所要時間は概略参考